法学の神授業

法学部1年生から公務員試験、司法試験を目指す人にわかりやすく解説します。。

職業選択の自由とは?わかりやすく解説

職業選択の自由の意義


憲法二二条一項は,居住・移転の自由とともに職業選択の自由を保障している。

憲法が居住・移転の自由とならべて職業選択の自由を規定しているのは,封建制度下における人々の土地への繋縛が人々の自由な経済活動を拘束していたが,封建制度の崩壊による人々の居住移転の自由の拡大にともなって人々の自由な経済活動が発展していったという歴史的事情に基づくものである。

職業選択の自由とは,国民がいかなる職業につくかを選択する自由(狭義の職業選択の自由)とその選択した職業を任意に営むことの自由(職業活動の自由)とからなる(薬局開設の距離制限に関する最判昭和 50 年4月 30 日民集二九巻四号五七二頁参照)。

狭義の職業選択の自由は,自己が主体的に営む職業を選択する自由のみならず,自己が雇われる職業を選択する自由をも含まれるとするのが通説である(後者は二七条の勤労の権利の問題であるとする見解もある)。

職業選択の自由には,営利を目的とする自主的活動の自由である営業の自由が含まれるとするのが通説である(ただ,営業の自由は経済活動の自由,すなわち自らの財産権を行使する自由でもあることから, 憲法二九条の財産権の現われとしての面をもつとして,二二条一項と二九条の両者の条文に根拠をもつと解する見解が有力である。)。

なお,右の通説的見解に対しては,第一に,営業の自由とは,営業の独占を排除する「公序」として追求されてきたものであって,個人の自由たる職業選択の自由に含めるべきではないという経済史学者からの批判がある。しかし,営業の自由の問題は独占の領域に限られるものではなく,営業も職業の一つとして国家との関係における自由権として捉えられるべきであるとするのが憲法学者の通説である。

第二に,営業の自由を「営業をすることの自由」(開業の自由,営業の維持存続の自由,廃業の自由)と「営 業活動の自由」とに分けて,前者は二二条一項により,後者は財産権の行使として二九条により保障さ れていると解すべきだという批判がある。

これに対して,通説は「営業活動の自由」から切り離された「営業をすることの自由」(あるいはその逆)を考えることは困難であると反論している。


職業選択の自由に対する制約


1 公共の福祉の意義
憲法二二条一項には,特に「公共の福祉に反しない限り」という制約が設けられているので,人権規定の総則的規定たる一二条及び一三条にいう「公共の福祉」との関係が問題となる。

この点については見解が分かれており,一二条及び一三条の「公共の福祉」を根拠として人権を制約することを認めず,二二条及び二九条のように憲法が特に「公共の福祉」による制約を認めている場合にのみ,人権に対する「公共の福祉」による制約が認められるとする見解もある。

しかし,今日の有力な見解は,人権も絶対不可侵のものではなく,人間の共同生活を前提としている以上,他者の人権との関係において一定の制約を受けることは当然のことであり,そこで,憲法は一二条及び一三条において,「公共の福祉」が人権の一般的な制約の根拠となることを宣明しているのであり,ただ,抽象的にいえば,「公共の福祉」による制約には,内在的制約(自由国家的公共の福祉)と政策的制約(社会国家的公共の福祉)の二種類があり,いずれの制約が当てはまるかは各人権の性質に応じて決まるものであるが,二二条と二九条とは後者の制約が妥当する機会が多いことから特に再言されたものであると解している。


2 「二重の基準」の理論
右のような「公共の福祉」の理解を受けて,職業選択の自由等の経済的自由に対する制約について, 以下のような「二重の基準」の理論という合憲性判断基準が説かれている。

憲法は,現代の資本主義の下において,国家が放任していれば国民の生存が確保されず,基本的人権の保障が有名無実のものとなることを防止しようとして,種々の社会権(二五条等)を保障しているが,社会権の保障の実現は財産権や営業の自由などの広汎な制限なしには不可能であるから,これら経済的自由は一般に政策的制約に服することが帰結されるのに対し,精神的自由は内在的制約に服するにとどまるのである。

これを観点をかえていうと,経済的自由に対する不当な規制立法が作られても,選挙なり議会なりの代表民主政の機構を通じてそれを排除できるが,これに対して,表現の自由を中心とする精神的自由を不当に規制する立法が作られると,民主的な政治過程そのものの機能が阻害されてしまうという意味で精神的自由は政治組織の基本である代議的自治の政治過程の維持保全に絶対不可欠のものであるといえるのである。

このような考え方が「精神的自由の優越的地位」と呼ばれているものである。

この「精神的自由の優越的地位」の理論から基本的人権に対する規制立法の合憲性判断における「二重の基準」の理論が導き出されている。「二重の基準」の理論とは,精神的自由を規制する法律の合憲性判断基準は経済的自由を規制する法律の場合よりも厳格でなければならないとする理論をいう。

すなわち,精神的自由を規制する立法は,本来違憲の推定を受け,合憲性判断基準としても,表現の自由に対する規制立法についての事前抑制禁止の原則やLRAの原則(より制限的でない他の選び得る方法の原則)等を例とする厳格な基準が妥当する。

これに対して,経済的自由を規制する立法は合憲の推定を受け, 合憲性判断基準としても後述する合理性の基準や明白性の原則といった緩やかな基準が妥当するものと解されている。


3 規制目的による合憲性判断基準の区別
職業選択の自由に対する制約の合憲性判断基準については,右にみた精神的自由との対比における 「二重の基準」の理論のほかに,規制目的による合憲性判断基準の区別が説かれている。

すなわち,他者の生命・健康への侵害を防止するなどの消極的・警察的目的を達成するための制約(内在的制約)と国 民経済の調和的発展や経済的弱者保護等の積極的目的を達成するための制約(政策的制約)が区別され,規制目的に応じて合憲性判断基準も異なるとされているのである。

前者の消極目的による規制の場合には,一定の害悪発生の危険の存在を前提に,規制の程度・手段はその害悪の発生を防止するため必要最小限のものであることが要請されるため,「厳格な合理性」の基準「( 重要な公共の利益のため必要かつ合理的かどうか,また,他のよりゆるやかな規制手段では立法目的を十分に達成できないかどうか」の基準)が妥当する。

これに対して,積極目的による規制の場合には, 裁判所の政策審査能力の欠如等の理由もあって,先の「二重の基準」の理論がそのまま妥当し,「合理性」の基準「( 規制目的が一応正当であり,規制手段が合理的関連性を有すれば,その規制は合憲とされる」との基準)及び「明白性の原則」「( 議会の制定する法律は一般に合憲性の推定を受け,裁判所は,明白な誤りがあるのでなければ違憲と判断すべきではない」との原則)が用いられることになるのである。

右のような規制目的による合憲性判断基準の区別を説いた判例として,小売商業調整特別措置法による小売市場開設許可制を経済的基盤の弱い小売商の保護という積極目的のための規制であるとして合憲の判断を示した最高裁の昭和 47年11月22日判決(刑集二六巻九号五八六頁)及び薬事法による薬局等の適正配置規制は消極目的のための規制であるとして違憲の判断を示した前記昭和 50 年の最高裁判決が挙げられる。


4 制約の諸類型

a 国家が財政目的,事業の公共性などの理由から独占事業としたものとして,郵便事業等がある。
b 事業の公共性,地域的独占性などの理由により国から特許を得たもののみが国家の監督の下で事業を 経営できるものとして,電気事業,ガス事業等がある。
c 善良な風俗の維持,公衆衛生の維持等の見地から営業について許可制が取られているものとして,風俗営業,飲食店,公衆浴場等がある。 なお,公衆浴場の設置について距離制限を設けることについて,かつて最高裁は右規制は消極目的によるものだとしながらも合憲である旨の判断を示しているが(最判昭和 30年1月26日刑集九巻一号八九 頁),前記の薬事法による薬局等の適正配置規制について違憲の判断を示した昭和 50 年の最高裁判決に鑑みると,合憲の判断を維持しうるかが問題となる。この点については,公衆浴場の設置について距離制限を設けることが,既存の公衆浴場の保護になるとして,右距離制限は積極目的による規制といえ, 右規制を合憲としうるとする見解が有力である。
d 弊害が多いとして禁止されるものとして,有料職業紹介業の禁止,あん摩師等の医療類似行為を業とすることの禁止等がある。
e 職業の高度の専門性,公共性から一定の資格を要求するものとして,医師,薬剤師,弁護士等がある。
f 反社会性を理由として一切許されないものとして,売春防止法上の管理売春等がある。

 

 

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基本的人権と公共の福祉との関係とは?わかりやすく解説

問題の所在


憲法は,一二条,一三条で,公共の福祉によって人権を制約しうるかのような文言の条文をおき,さらに,二二条,二九条にも公共の福祉という言葉を使っている。そこで,ここにいう「公共の福祉」の意味は何か,一二条,一三条と二二条,二九条の公共の福祉の関係はどうなるのか,近時唱えられてい る二重の基準論との関係などが問題となる。


人権の制約原理


「公共の福祉」の意味,ひいては,人権の制約原理は何かという点については,次の二つの見解がある。

第一説は,基本的人権は「公共の福祉」に反しない限り保障されるものであり,「公共の福祉」を基 本的人権の一般的制約原理であるとする説である(この説によれば,二二条,二九条の公共の福祉の再言は無意味ということになる。)。

第二説は,基本的人権は,「公共の福祉」によっては制約されないとする見解である。

両説は,表面上は全く反対のことを言っているが,実際上の差異は大きくない。前説も,公共の福祉さえあれば,当然に人権が制約されると解するものではなく,基本的人権の保障をうたった現憲法下では,その制約は最小限度にするべきことになる。

また後説も,人権の制約が一切許されないとするものではなく,内在的な制約には服する(つまり,人権相互間の矛盾,衝突を調整するための制約)と解されている。

学説上は,第二説の方が通説とされ,第一説は法律の留保の範囲内でのみ人権をみとめていた 明治憲法を想起させるとか,公共の福祉というあいまいな概念で安易な人権制約を許すことになるとして批判する。

しかし,つきつめていえば,両説の違いは人権制約の根拠に関する用語の違いにすぎないのではないかと思われる。

第一説によっても,結局,「実質的公平」というあいまいな概念で人権の内在的制約を認めるという意味で第二説と大差ないと思われる。むしろ大切なのは,どのような場合に人権の制約を認めるべきか,内在的制約ないし公共の福祉の具体的内容を設定することだと思われる。

では,その具体的内容とは何か。究極的に言うならば,人権制約によって失われる利益と得られる利益の比較考量ということになると思う。

しかし,憲法の比較考量をする場合,通常の民事の比較考量との違いを意識しないで,安易にこれを行うなら,一方で個人の益である人権と,一方で多くの場合多数人の利益である人権制約による利益とが比較考量がされることになり,どうしても,多数人の利益である人権制約による利益の方が重視される傾向にある。

これを,アメリカ法では,アド・ホック・バランシングとして批判される。

つまり,例えば表現の自由の制約を例にとると,この人権を守ることは一見, 個人のみの問題であるかのように見えるが,例えば,その制約によって萎縮的効果を与えて,波及し, 議会制民主政の政治過程に影響を及ぼす場合もあるのである。

してみれば,憲法上の比較考量は,安易に具体的事件の比較考量をするのではなく,より高い視野にたって,各人権の性質に応じ,時には制度全体,憲法秩序,体系をも考慮した,きめ細かな比較考量が必要だということになるであろう。

後述す る種々の考え方や,近時,憲法訴訟ということで考察の対象となる基準(例えば,精神的自由権に関する L・R・Aの基準等)は,いずれも,右のきめ細かな比較考量をするうえでの道具立てであると言えよう。


二二条,二九条の「公共の福祉」


内在的制約説の中で,二二条,二九条の「公共の福祉」に特別な意味を与え,二二条,二九条の財産権及び社会権については公共の福祉による制約を認め,それ以外の人権については内在的制約のみを認めるとする見解が,かつて有力に主張された。

この見解は,憲法自由主義国家観をとりながら,一部,社会国家の原理をとりいれたことに対応して,基本的人権を,社会化された人権とそれ以外の二種類に大別して,人権の制約を構成した見解である。 さらに,近時の有力説は,これを批判する。

つまり,社会権として分類されている権利にも自由権的な側面はあり,また自由権も次第に社会化されつつある(人権概念の相対化)。従って,右の見解のよう に,人権を二つに大別するのは,右の趣旨からして妥当とは言えないとする。

そして,この説によれば, 公共の福祉には,自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉があり,前者は,個人の人権の矛盾,衝突を調整することと社会秩序の維持と危険の防止を内容とし,後者は,国家の政策に基いて,個人の生活水準を向上し,福祉を増大させるという積極的な内容をもち,国家の裁量性をより広く認めるものである。

右の見解によれば,各人権には,論理的には右の二つの公共の福祉による制約があるが

(i)精神的自由権は,その優越的な地位から,社会国家的公共の福祉による制約を認めるのは妥当でない。

(ii)経済的自由権については,二つの公共の福祉による制約が認められる。

という帰結が導かれる。


二重の基準


この考え方は,アメリカ法から導入された「二重の基準」理論からも説明される。この理論は,精神的自由権は,議会制民主主義の政治過程(つまり,自由に情報が流通することによって,国民の意思が形成され,その意思が議会を形成し,議会でなされていることが,国民に正しく伝達され,フィード・バッ クされる。)にとって必要不可欠であるから,その規制をするためには経済的自由の規制立法の場合よりも,より厳しい基準が必要であるというものである。

 

   

司法権の独立とは?わかりやすく解説

 

 

 

司法権の独立の意義


司法権の独立という場合は,1司法府が他の権力(立法,行政)から独立して自主的に活動できること (司法府の独立)と,2裁判官が裁判を行うに際して,完全に独立して職権を行使できること(裁判官の独立)の二つを意味するが,一般には,2が中心的なものと考えられている。

司法権の独立の趣旨は,裁判が厳格,公正に行われるのを確保することにあり,日本国憲法も,「す べて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている(七六条三項)。

すなわち,裁判官を拘束するのは法だけであり,裁判官の職権行使にあっては, いかなる指揮命令も受けないのである。


二 裁判官の「良心」


七六条三項の「良心」の意味については学説上争いがあるが,大別すれば,(一)裁判官個人の主観的良心とする説と,(二)裁判官が適用する法のうちに存在する客観的良心とする説に分けられる。

(一)説に立つと裁判が区々にわたることになるという批判がなされており,(二)説の立場が通説である。(二)説によれば, 裁判官は,あくまで法の客観的原理を探求し,そこから帰結されるところに従って裁判をすることにな る。そうすると,結局裁判官は「憲法及び法律にのみ拘束される」のであって,「良心に従ひ」の文言には特別の意味はなくなる。

 

司法権の独立の内容


司法権の独立(裁判官の独立)の内容を具体的に検討する場合は,独立を脅かす要因として,1立法権, 2行政権,3司法権内部のそれぞれについて考える必要がある。
1 立法権

国会の国政調査権(六二条)との関係で問題となるが,国会が裁判所に係属中の事件につき裁判手続自体を調査することや裁判の内容の当否につきその批判を目的として調査することなどは,司法権の独立の侵害となる。

また,判決が確定した事件であっても,再審に類するような形で調査することは許されないと考えられる。なぜなら,このような調査は将来の事件における裁判に事実上の影響を与える可能性があるからである。
2 行政権

明治憲法下のように,裁判官が行政権(司法大臣)の監督に服するときは,司法権の独立が侵害されやすいので,現行制度では,最高裁判所が司法行政の最高監督機関となっている(裁判所法八〇条)。 また,行政権からの独立という点では,行政事件訴訟法における内閣総理大臣の異議申述の制度(行訴 法二七条)が問題となる。すなわち内閣総理大臣からの異議があれば,裁判所は行政処分の執行停止をすることができず,また,すでに執行停止しているときはそれを取消さなければならないという制度が司法権の独立を侵害するのではないかという問題である。しかし,裁判所による執行停止の決定(行訴法二 五条)は裁判ではなく,実質的には行政処分であるから,最終的決定権は内閣総理大臣にあるとしても違憲ではないとするのが多数説である。
3 司法権内部

裁判官の独立は,当然他の裁判官の命令にも服しないということを意味する。2で述べたように,裁判所法八〇条は,司法行政監督権について定めるが,それに続く同法八一条は,司法行政監督権が「裁判官の裁判権に影響を及ぼし,又はこれを制限することはない」とことわっている。 なお,司法権の独立に関連して,一般の国民やマスコミによる裁判批判も問題となるが,それらの裁判批判が健全である限りは言論の自由の一環として認められるべきであろう。


四 裁判官の身分保障


このような司法権の独立(裁判官の独立)を確保するためには,裁判官の身分の保障が必要である。日本国憲法は七八条で,1裁判官の罷免事由の限定(執務不能の裁判による場合と公の弾劾による場合)及び,2行政機関による懲戒の禁止を定めている。

これらは裁判官の身分が行政府などにより政治的に決定されることを防ぐという趣旨に基づくものである。

なお,裁判官の罷免事由が裁判の内容評価にわたるものであってはならないことは当然である(裁判官弾劾法二条)。

また,裁判官の身分保障の制度として,報酬の保障と在任中の減額の禁止や,その意に反した裁判官の転所,転官,職務の停止等の禁止が定められている(憲法七九条六項,八〇条二項,裁判所法四八条)。

更に,裁判官の独立や身分保障の趣旨を徹底するためのものとして,憲法最高裁判所下級裁判所裁判官の指名権や,訴訟に関する手続,弁護士・裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項についての規則制定権が定められている(八〇条一項,七七条一項)。これらの権限が他の権力に与えられて裁判官の行動に対し,何らかの支配のおそれが生ずるのを防ぐ趣旨に基づくものと考えられる。

違憲審査制(憲法八一条)とは?わかりやすく解説

違憲審査制の根拠

憲法八一条は違憲審査制を定めている。この制度の根拠として

(i)法理論的根拠として,憲法最高法規

(ii)政治的,制度的根拠として権力分立原則

(iii)実際的な根拠として,人権の保障が挙げられている。

 比較法的にみれば,少なくとも戦前のフランス(第三共和政)においては人権宣言以来,人権保障の必要性は当然に意識されていたが,違憲審査制の必要性は全く考慮されなかった。

それは民主主義を実現する機関である議会によって,当然に人権は保障されると考えられていたからである。

つまり,議会に よって実現される民主主義に対する牧歌的なまでの信頼があったのである。

因みにアメリカ合衆国で一九世紀のはじめから違憲審査制をとることが可能だったのは,議会主義の権化であるイギリスから独立したことによる議会に対する不信感情と司法裁判所の権威の強さ(ないし国民の強い信頼)があったからなのである。

ところが戦後,フランスでも,裁判機関ではなく政治的機関であるが,憲法評議会(憲法院)ができて立法の合憲性をチェックするようになり,さらに1970年代以降制度の運用として西ドイツの憲法裁判所と同じような機能を果たしている。

フランスに限らず,各国に違憲審査制が採用されるようになったのは戦後のことである。

このように変化したのは,社会が複雑化に伴い,価値観が複雑化し, 議会による人権保障に無限定な信頼を寄せることが困難になり,また第二次大戦前のナチズム等のように,憲法が保障する価値に真っ向から対立する勢力の台頭があったことから,憲法を守らなければならないという気運が強まったことによる。

そのため各国でも,憲法改正の手続を厳重にするなどして憲法最高法規性を実質的に担保し,議会以外の公正さを保障された即ち政治過程とは原則として別系統の機関に対し,法令等の合憲性を判断させて機関相互のチェック,バランス機能をもたせ,憲法が実現しようとする価値を守ろうとしたのである。

そして,このような制度が可能になったのは,戦後,民主主義に対する理解が深まり,民主主義とは,単に多数者支配を実説するための制度ではなく,その最終目的は国民の権利,自由の保障であるという立憲民主政の考え方が意識されるようになったからであるといえよう。

 二つの違憲審査制

比較法的に見るならば,違憲審査制には二つの型があると言われている。

アメリカ合衆国に代表されるような,通常の司法事件を解決するにあたって,法令等の合憲性が問題となった場合に,具体的な事件解決に必要な限度で違憲審査を行わせる型(付随的違憲審査制)

西ドイツに代表されるような,具体的事件とはかかわりなく憲法判断が行われる型(抽象的違憲審査制)である。

その特色について概観すると,前者は違憲審査をするには,法律上の争訟つまり具体的な事件を前提としなければならず,違憲の主張をするのは法律上制限されていないが具体的事件につき当事者であることが必要であり,また 違憲判断をなしうるのは司法作用を行うすべての裁判所に分散され,また違憲判断の効力は原則として当該事件に限られる(一般的効力説)。

後者は,違憲審査をするのに具体的事件は前提とならず,違憲の主張をなしうる者(提訴権者)は原則として一定の者に限られ,憲法判断をなしうるのは,憲法に定められた憲法裁判所(司法裁判所ではなく特別裁判所にあたる。)に集中され,また違憲判決の効力は,法令そのものを客観的に無効にすることになる(一般的効力説)。

そして,少なくとも理念としては,前者は, 個々の人権侵害に対する救済を第一義とし(私権擁護型),後者は憲法秩序の維持そのものを本来の目的とする(憲法保障型)。

わが国の違憲審査制が,右のいずれの型を採用しているかについては争いがあったが,通説は,八一条が「司法」の中にあり,司法についての伝統的な解釈によれば具体的事件性が必要であること,ボン基本法に定められているような提訴権者,判決の効力等基本的事項について規定されていないことなどの理由から付随的違憲制を採用したものであると解している。

但し,右の二つの型は少なくともその機能について合一化の傾向にあると指摘されている。

例えば, 違憲判決の効力について機能的には一般的効力説的な機能を果たす。最高裁裁判事務処理規則一四条が, 違憲判決の要旨の官報による公告,内閣,国会への裁判書正本の送付を定めていたり,また違憲とされ た刑法二〇〇条が検察実務で適用されないことなどにその例がある。

付随的違憲審査制であることにより,違憲審査をするにあたって,通常の訴訟事件と同じく,事件性, 当事者適格が必要になる。また,憲法問題について判断しなくても事件そのものが解決できるような場合,憲法判断を回避することが可能になる(このような場合,憲法判断を回避すべきであるという考え方 を,司法消極主義という。)。

違憲審査制の対象

違憲審査制の対象としては,条約がこれに含まれるかが問題になる。

この問題は,憲法と条約の優劣関係とも関係がある。

条約優位説に立てば,問題なく対象にはなりえない。

憲法優位説に立っても,条約が対外的な活動であることから,当然に対象になると解するわけにはいかない。

審査が可能であると解する見解は,条約を国際法的効力と国内法的効力とに分けることができ,国内法的効力の側面につい ては法律に準じて違憲審査が可能であると解している。

二つに分けることができないと解すれば,条約 の国家間の合意という側面から審査できないと解することになろう。

 

違憲審査の限界

この問題は,これまで,統治行為(近時は,アメリカ法の「政治問題」という用語を使うことが多くなった。)を認めるか否かという形で議論されていた。

統治行為とは,判例のことばを借りるなら「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」で「それが法律上の争訟となりこれに対する有効,無効の判断が法律上可能」であっても,「裁判所の審査権の外にある」国家行為を指す(苫米地判決)。

近時は,これをさらに分析して,各機関の自律権に属するもの(例えば,国会議員の懲罰,議事に定足数を欠いたかどうかの認定等)及び各機関の自由裁量に属するもの(例えば,国務大臣の任免等,立法裁量 もこれに属すると論じられることもある。)については,従来統治行為論で論じられているが,これらについては統治行為から除外して考えて,各々の制度趣旨を根拠に司法審査の対象外とし,残ったものを 統治行為論で論ずるのが近時の有力説である(具体的には外交活動に関するもの等が指摘される。)。

統治行為が司法判断の対象外になるかについては,肯定説(さらにその根拠として,憲法のとる民主政, 権力分立制からくる内在的制約であるとする見解と裁判所の裁量的自制であるとする見解がある。)と否定説がある。

政治部門の活動やその判断について,裁判所が一定の配慮をなすことが必要で,軽々に判断すると裁判所が政治の渦中にまきこまれ,自らが政治化する危険がある場合も否定できない。

その根拠を内在的制約に求めるにせよ,自制に求めるにせよ(両説が相互に矛盾するとは必ずしもいえない),肯定説が通説である所以である。

 

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憲法規範の特質について解説

(一) 根本規範憲法は,いわば法の根源ともいうべきものであるから,その制定過程は実定法の定める制度内でなされるものではない,憲法制定権を有する者によって,自然状態から実定のものとして作出されるわけである。

従って,憲法制定権は,国家において始源的かつ無条件,絶対のものというべきであるが,これに対して,憲法制定権も憲法に内在するものと説く見解もある。

しかし,憲法改正権は憲法それ自体に内在するものであるが,憲法制定権は憲法定立という憲法の存在以前から認識しうるものであり,これを憲法そのものに内包されたものと考えることには疑問がある。

そして,この憲法制定権の所在,及び憲法制定権と不可分に結びついた統治の基本原則が憲法の定立により宣明されることになる。

もとより憲法はそのような基本的宣明に終始するものでなく,その他の 細かい規範も含んでいるのであるが,このような統治の基本を示した部分を,憲法秩序の中で根本規範 といわれている。

現行憲法においては,憲法制定権の所在を示した国民主権主義,統治の基本を示した 基本的人権の尊重,平和主義の立場が根本規範にあたるといえよう。憲法の根本規範の部分を改正する ことは,憲法制定権者の示した立場そのものの否定となり,ひいては憲法秩序全体の否定となるもので, 許されないものと考えられている。

憲法の改正規定も,その意味で,根本規範程本質的ではないにして も,改正される憲法の条項よりは優位にあるものであるし,硬性憲法のもとでは憲法秩序の本質をも示 しているものともいえ,本質的改変はなしえないものである。憲法の中において,このような根本規範の部分を除いたものを,憲法律と呼んでいる。


(二) 最高規範憲法九八条一項は憲法が国の最高法規であることを明らかにしている。このことは,憲法 が国法体系の中で最も強い形式的効力を有する最高法であることを示している。

そして,憲法が国家の基本的統治の原則を明らかにしているのであるから,国法体系そのものが憲法に依拠して秩序だてられ ているものということができる。ここに憲法が最高法であることの理由がある。

つまり,憲法より劣る法令は,憲法に反しては効力をもちえないのであるし,下位の法令は憲法に内在する権限によって定立されるのである。

そのため憲法九八条二項は,憲法に反する法令及び国務に関する行為が効力を持ちえないことを明らかにし,八一条は,最高裁判所違憲立法審査権を与えている。

この違憲立法審査権は, 憲法の最高性を保障するものとして,いわば制度的保障の規定ということができるかもしれない。

憲法の最高規範としての性質は,憲法が国家作用の根源または基礎になる法としての性格と,国家体系の中で最高の形式的効力を有する性格との両面から説明することができ,最高性のこの二つの側面は, 相互に関連するものであるというべきである。


(三) 授権規範法は一般に法定立の権限を上位の法によって委任されて定められるものであり,定立権限 を下位法の制定者に委ねる上位法を授権規範,授権を受けて定められる下位法を受権規範という。

従って,国家内の全ての法令は何らかの授権規範によって定立されたものなのであるが,この授権規範を順次上位へたどって行くならば,その究極に存するものは憲法であるということができる。

このように憲法は授権規範として根源的地位を占めるため,あらゆる法令定立の根拠は憲法にあるものということが できる。憲法四一条,五九条は法律の制定を,憲法七三条六号は政令の制定を,それぞれ授権している ものということができる。

しかしながら,憲法が授権規範として根源にあるとはいっても,法が自己に制定権を授権することはできないのであるから,憲法そのものの制定についての正当性が問題とされなければならない。

そして, 憲法は,その制定権者により自然状態から作出されるものなのであるから,憲法の正当性の根拠は正し く憲法制定権者にあるのであり,憲法制定権に内在し,超法規的に自然状態で観念されていた根本規範 にその正当性があるものといわなければならない。


(四) 制限規範 さらに,憲法は,統治の原則を基本的に示していることから,国家行為の内容を規律し, それに方向を与え,その限界を画するという機能を有している。

家族生活における個人の尊厳を定めた憲法二四条は,他面で個人の尊厳と両性の平等に基づく法の制定を要求しているし,議員及び選挙人の資格について定めた憲法四四条も,他方で選挙における差別の禁止を定めている。

このように,憲法基本的人権を明らかにする一方で,このような基本権を尊重するために国家行為を制約しているのである。

憲法の制定は,統治の原則を示すものであるから,統治組織が憲法内で明らかにされることは自明のことであるが,さらに近代憲法基本的人権をうたいあげている。

これは,憲法制定権が自然状態で観念した根本規範の中に基本的人権が存することを示すものであり,個人の基本的権利が憲法以前のものとして存在し,つまり憲法の定立した統治組織以前のものとして考察されるべきことになるのである。

すなわち,近代憲法の大半は,根本規範として基本的人権の尊重を掲げているのであり,このことは基本的人権が基本権或いは自然権として考えられるべきもので,前国家的に把握されるべきことを表明しているのである。

その結果,憲法は基本権の宣明をする一方で,その尊重のため国家作用を制約するこ とになる。

しかし,個人の存立も国家を前提としているのであり,その意味で個人の権利が国家から積極的に尊重されるべく要請されるようになると,国家が基本的人権を制限しないという消極的役割を担うことから,むしろ基本権を積極に保障することが求められてくる。

このような人権が,社会権といわれるものである。

 

 

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