職業選択の自由の意義
憲法二二条一項は,居住・移転の自由とともに職業選択の自由を保障している。
憲法が居住・移転の自由とならべて職業選択の自由を規定しているのは,封建制度下における人々の土地への繋縛が人々の自由な経済活動を拘束していたが,封建制度の崩壊による人々の居住移転の自由の拡大にともなって人々の自由な経済活動が発展していったという歴史的事情に基づくものである。
職業選択の自由とは,国民がいかなる職業につくかを選択する自由(狭義の職業選択の自由)とその選択した職業を任意に営むことの自由(職業活動の自由)とからなる(薬局開設の距離制限に関する最判昭和 50 年4月 30 日民集二九巻四号五七二頁参照)。
狭義の職業選択の自由は,自己が主体的に営む職業を選択する自由のみならず,自己が雇われる職業を選択する自由をも含まれるとするのが通説である(後者は二七条の勤労の権利の問題であるとする見解もある)。
職業選択の自由には,営利を目的とする自主的活動の自由である営業の自由が含まれるとするのが通説である(ただ,営業の自由は経済活動の自由,すなわち自らの財産権を行使する自由でもあることから, 憲法二九条の財産権の現われとしての面をもつとして,二二条一項と二九条の両者の条文に根拠をもつと解する見解が有力である。)。
なお,右の通説的見解に対しては,第一に,営業の自由とは,営業の独占を排除する「公序」として追求されてきたものであって,個人の自由たる職業選択の自由に含めるべきではないという経済史学者からの批判がある。しかし,営業の自由の問題は独占の領域に限られるものではなく,営業も職業の一つとして国家との関係における自由権として捉えられるべきであるとするのが憲法学者の通説である。
第二に,営業の自由を「営業をすることの自由」(開業の自由,営業の維持存続の自由,廃業の自由)と「営 業活動の自由」とに分けて,前者は二二条一項により,後者は財産権の行使として二九条により保障さ れていると解すべきだという批判がある。
これに対して,通説は「営業活動の自由」から切り離された「営業をすることの自由」(あるいはその逆)を考えることは困難であると反論している。
職業選択の自由に対する制約
1 公共の福祉の意義
憲法二二条一項には,特に「公共の福祉に反しない限り」という制約が設けられているので,人権規定の総則的規定たる一二条及び一三条にいう「公共の福祉」との関係が問題となる。
この点については見解が分かれており,一二条及び一三条の「公共の福祉」を根拠として人権を制約することを認めず,二二条及び二九条のように憲法が特に「公共の福祉」による制約を認めている場合にのみ,人権に対する「公共の福祉」による制約が認められるとする見解もある。
しかし,今日の有力な見解は,人権も絶対不可侵のものではなく,人間の共同生活を前提としている以上,他者の人権との関係において一定の制約を受けることは当然のことであり,そこで,憲法は一二条及び一三条において,「公共の福祉」が人権の一般的な制約の根拠となることを宣明しているのであり,ただ,抽象的にいえば,「公共の福祉」による制約には,内在的制約(自由国家的公共の福祉)と政策的制約(社会国家的公共の福祉)の二種類があり,いずれの制約が当てはまるかは各人権の性質に応じて決まるものであるが,二二条と二九条とは後者の制約が妥当する機会が多いことから特に再言されたものであると解している。
2 「二重の基準」の理論
右のような「公共の福祉」の理解を受けて,職業選択の自由等の経済的自由に対する制約について, 以下のような「二重の基準」の理論という合憲性判断基準が説かれている。
憲法は,現代の資本主義の下において,国家が放任していれば国民の生存が確保されず,基本的人権の保障が有名無実のものとなることを防止しようとして,種々の社会権(二五条等)を保障しているが,社会権の保障の実現は財産権や営業の自由などの広汎な制限なしには不可能であるから,これら経済的自由は一般に政策的制約に服することが帰結されるのに対し,精神的自由は内在的制約に服するにとどまるのである。
これを観点をかえていうと,経済的自由に対する不当な規制立法が作られても,選挙なり議会なりの代表民主政の機構を通じてそれを排除できるが,これに対して,表現の自由を中心とする精神的自由を不当に規制する立法が作られると,民主的な政治過程そのものの機能が阻害されてしまうという意味で精神的自由は政治組織の基本である代議的自治の政治過程の維持保全に絶対不可欠のものであるといえるのである。
このような考え方が「精神的自由の優越的地位」と呼ばれているものである。
この「精神的自由の優越的地位」の理論から基本的人権に対する規制立法の合憲性判断における「二重の基準」の理論が導き出されている。「二重の基準」の理論とは,精神的自由を規制する法律の合憲性判断基準は経済的自由を規制する法律の場合よりも厳格でなければならないとする理論をいう。
すなわち,精神的自由を規制する立法は,本来違憲の推定を受け,合憲性判断基準としても,表現の自由に対する規制立法についての事前抑制禁止の原則やLRAの原則(より制限的でない他の選び得る方法の原則)等を例とする厳格な基準が妥当する。
これに対して,経済的自由を規制する立法は合憲の推定を受け, 合憲性判断基準としても後述する合理性の基準や明白性の原則といった緩やかな基準が妥当するものと解されている。
3 規制目的による合憲性判断基準の区別
職業選択の自由に対する制約の合憲性判断基準については,右にみた精神的自由との対比における 「二重の基準」の理論のほかに,規制目的による合憲性判断基準の区別が説かれている。
すなわち,他者の生命・健康への侵害を防止するなどの消極的・警察的目的を達成するための制約(内在的制約)と国 民経済の調和的発展や経済的弱者保護等の積極的目的を達成するための制約(政策的制約)が区別され,規制目的に応じて合憲性判断基準も異なるとされているのである。
前者の消極目的による規制の場合には,一定の害悪発生の危険の存在を前提に,規制の程度・手段はその害悪の発生を防止するため必要最小限のものであることが要請されるため,「厳格な合理性」の基準「( 重要な公共の利益のため必要かつ合理的かどうか,また,他のよりゆるやかな規制手段では立法目的を十分に達成できないかどうか」の基準)が妥当する。
これに対して,積極目的による規制の場合には, 裁判所の政策審査能力の欠如等の理由もあって,先の「二重の基準」の理論がそのまま妥当し,「合理性」の基準「( 規制目的が一応正当であり,規制手段が合理的関連性を有すれば,その規制は合憲とされる」との基準)及び「明白性の原則」「( 議会の制定する法律は一般に合憲性の推定を受け,裁判所は,明白な誤りがあるのでなければ違憲と判断すべきではない」との原則)が用いられることになるのである。
右のような規制目的による合憲性判断基準の区別を説いた判例として,小売商業調整特別措置法による小売市場開設許可制を経済的基盤の弱い小売商の保護という積極目的のための規制であるとして合憲の判断を示した最高裁の昭和 47年11月22日判決(刑集二六巻九号五八六頁)及び薬事法による薬局等の適正配置規制は消極目的のための規制であるとして違憲の判断を示した前記昭和 50 年の最高裁判決が挙げられる。
4 制約の諸類型
a 国家が財政目的,事業の公共性などの理由から独占事業としたものとして,郵便事業等がある。
b 事業の公共性,地域的独占性などの理由により国から特許を得たもののみが国家の監督の下で事業を 経営できるものとして,電気事業,ガス事業等がある。
c 善良な風俗の維持,公衆衛生の維持等の見地から営業について許可制が取られているものとして,風俗営業,飲食店,公衆浴場等がある。 なお,公衆浴場の設置について距離制限を設けることについて,かつて最高裁は右規制は消極目的によるものだとしながらも合憲である旨の判断を示しているが(最判昭和 30年1月26日刑集九巻一号八九 頁),前記の薬事法による薬局等の適正配置規制について違憲の判断を示した昭和 50 年の最高裁判決に鑑みると,合憲の判断を維持しうるかが問題となる。この点については,公衆浴場の設置について距離制限を設けることが,既存の公衆浴場の保護になるとして,右距離制限は積極目的による規制といえ, 右規制を合憲としうるとする見解が有力である。
d 弊害が多いとして禁止されるものとして,有料職業紹介業の禁止,あん摩師等の医療類似行為を業とすることの禁止等がある。
e 職業の高度の専門性,公共性から一定の資格を要求するものとして,医師,薬剤師,弁護士等がある。
f 反社会性を理由として一切許されないものとして,売春防止法上の管理売春等がある。
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